1009 娼年

夏くらいから松坂桃李がじわじわ気になっている。
流浪の月の文がめちゃくちゃハマり役だったからだ。
その後虎狼の血を狂ったように見て、過去作品を見ている。

元々、ラジオでのいわゆる神回を聴いてから、生活していて息苦しさを感じると、神回の松坂桃李のことを思い出しては、なんとなく気が楽になったりしてた。
今日は同居人が外出で抜けたタイミングで、アマプラで娼年を観た。
もともと小説の感想を母の友だちから聞いていて、「とても感動した!もう少し大きくなったらあなたも読んでごらん」と当時言われたことがある。
そんな話忘れた社会人になった頃、駅前で松坂桃李のどデカい娼年のポスターを見つけて、濡れ場が苦手だから当時は映画館に足を運ばなかったけど、今はアマプラがあり、苦手なところを適度にスキップできるから見てみた…!
女はとか男はとか、分類わけして整理するように人と接していたら、本当の意味で人とは触れ合えなくて、物語の中で仕事を通して主人公の領くんが1人の人として個人と向き合うことを学んでる感じがした。
私もそうだったなとか思うことがすごくあったな。仕事始める前の領くんの感じ、恋人に凄く似てるなぁと思った。
一緒に住んで一年以上経つけど、まだ核の部分には触れられてない気がする。
私も怖いのかな。人の深いところにそっと触れて寄り添える人になりたいなと思った。

1009 私はゴースト

幽霊の追体験ができるということで、「私はゴースト」という映画を見た。
ほとんどの生きた人間が霊を見ることができないように、霊も生きた人間を視認できないという設定が、不思議な説得力があってとても怖かった。
以前、恒川光太郎の雷の季節の終わりにという小説で、生身の人間と霊体では存在するレイヤーが違っていて、同じ場所にいるはずの生身の人間は霊体を認識できないみたいなことが書いてあった気がしたんだけど、それを思い出した。

この映画はストレートに見た方がいいんだと思うんだけど、主人公のエミリーは多重人格の一人格に過ぎなくて、出られない屋敷は心の中なのではと思った。もう一人のエミリーを殺す人格を閉じ込めたのは誰なのか?エミリーよりも強いのに、エミリーが閉じ込めておけるんだろうか?屋敷を出ると真っ暗というのも少し引っ掛かった。一つの人格に自分は幽霊であることを自覚させて人格を消滅させる精神療法だったみたいなのもおもしろいかもとも思ったりした。

でも、死んだら光に包まれるとか、そういうことを人は想像しがちだし、死んだ両親や恋人とやっと会えるとか、私自身もそうなると思ってたけど。
暗闇に飲み込まれて、無になると思ったら、ものすごく怖いなと思った。
面白かった。死ぬの怖くなるね。

セクシャリティのこと

私は恋人と付き合ってから(付き合う前も)性行為をしていない。
今後もするかもわからない。
付き合う時に、あんまり性行為が好きではないという話をお互いがどちらからともなくして、それから暗黙の了解的に、そういった空気にもならない。
正直それが私にはすごく楽だったりする。
初めて男の人と一緒に寝た時、交際ってこんなことを毎回しなきゃいけないのか、と絶望した。あの時の気持ちはずっと忘れられない気がする。

私たちの関係を友だちに話すと変なものを見るような顔をする。
会うたびに「もうした?」って聞いてくる。
することが当たり前の人も、私たちみたいにしない人がいることも、いろんな人がいることが"フツー"になればいいなと思う。

0920

リモートワークで仕事の最中に口笛吹かれてうるせーなって思うことが日常になって嬉しい。
毎日二人布団を並べて真っ暗な中で明日晴れたら洗濯しようとか、少し先の土曜日に何を食べるかとか、そんなちょっとしたことを話す。そんなことが日常になって嬉しい。
出会わせてくれてありがとうって思える毎日がこの先も続いてほしい。

0918

日本の教育や思想が理由で、みんな自分と他人が"同じ"であると他人と自分をきちんと切り離して考えられない、みたいな動画を見た。
誰かが自分より幸せそうに見えると、無意識の中で(自分とあいつは同じはずなのに)と思ってしまい、「あいつだけずるい。引き摺り下ろしてやる。」みたいな不健全な妬みに繋がったり、各々が違う環境で育ってきて、アドバンテージも違うのに、「努力が足りない。」「自己責任。」ということを平気で言えるのだというのを見て、なるほどなと思った。
こういう心の中から湧いてくる感情に昔から強烈に嫌悪があって、でも、他人の幸せが許せないみたいな気持ちがコントロールできない時がある。これって刷り込みからくるものだと思うと一種の転嫁ができて、元々私の中にデフォで備わっているものではないかもって少し気持ちが楽になった。
そして、やはり自分にとって不要だし、適切に排除したいものだとも思った。
昔、適応障害で仕事を休んでいた時期に、カウンセリングを受けたことがあるんだけど、そこでバウンダリーという言葉を教えてもらって、他人はあくまで他人、自分が悲しいから相手にもそれを押し付けたり決めつけることは違う。
他人はどうこうできるものではないし、操ろうなんて思ってはいけない。
逆もまた然り・・・と教えてもらって、結構楽になったことがある。
文字にすれば当たり前のことに聞こえるけど、そういう考え方できてるって言える人ってどのくらいいるんだろ。
少なくとも、私はできてなかったと思うし、今でも苦しむことがある。
ただ、周囲の人間がバウンダリーできてないと結構苦しい。
例えば、「なんであの子は結婚してるのに、もう子供もできてるのに、あなたは結婚もしていなければ彼氏すらいないんだ。」というのを言われる。みたいな。
自分にも元々そういう思想みたいなものがしっかり染み付いてしまっているので、心に余裕がなかったりすると「ずるい」みたいなことを思ってしまったりする。
こういう感情取り外し可能にしてほしいなと思う。
頭ではわかっていても、染み付いたものは簡単には消えなくて、
さらに自分の場合、思いっきり顔に出てしまう幼稚な仕様なので、生きづらいなと思う。徐々に訓練していくしかないんだよな。
小学校くらいからバウンダリー教育した方がいいんじゃないかな。と思った。
健全(?)な嫉妬は、自分自身を成長させたり、高めあったりするツールとしてあってほしいと思う。これもまたあくまで自分の中での話。