0918

日本の教育や思想が理由で、みんな自分と他人が"同じ"であると他人と自分をきちんと切り離して考えられない、みたいな動画を見た。
誰かが自分より幸せそうに見えると、無意識の中で(自分とあいつは同じはずなのに)と思ってしまい、「あいつだけずるい。引き摺り下ろしてやる。」みたいな不健全な妬みに繋がったり、各々が違う環境で育ってきて、アドバンテージも違うのに、「努力が足りない。」「自己責任。」ということを平気で言えるのだというのを見て、なるほどなと思った。
こういう心の中から湧いてくる感情に昔から強烈に嫌悪があって、でも、他人の幸せが許せないみたいな気持ちがコントロールできない時がある。これって刷り込みからくるものだと思うと一種の転嫁ができて、元々私の中にデフォで備わっているものではないかもって少し気持ちが楽になった。
そして、やはり自分にとって不要だし、適切に排除したいものだとも思った。
昔、適応障害で仕事を休んでいた時期に、カウンセリングを受けたことがあるんだけど、そこでバウンダリーという言葉を教えてもらって、他人はあくまで他人、自分が悲しいから相手にもそれを押し付けたり決めつけることは違う。
他人はどうこうできるものではないし、操ろうなんて思ってはいけない。
逆もまた然り・・・と教えてもらって、結構楽になったことがある。
文字にすれば当たり前のことに聞こえるけど、そういう考え方できてるって言える人ってどのくらいいるんだろ。
少なくとも、私はできてなかったと思うし、今でも苦しむことがある。
ただ、周囲の人間がバウンダリーできてないと結構苦しい。
例えば、「なんであの子は結婚してるのに、もう子供もできてるのに、あなたは結婚もしていなければ彼氏すらいないんだ。」というのを言われる。みたいな。
自分にも元々そういう思想みたいなものがしっかり染み付いてしまっているので、心に余裕がなかったりすると「ずるい」みたいなことを思ってしまったりする。
こういう感情取り外し可能にしてほしいなと思う。
頭ではわかっていても、染み付いたものは簡単には消えなくて、
さらに自分の場合、思いっきり顔に出てしまう幼稚な仕様なので、生きづらいなと思う。徐々に訓練していくしかないんだよな。
小学校くらいからバウンダリー教育した方がいいんじゃないかな。と思った。
健全(?)な嫉妬は、自分自身を成長させたり、高めあったりするツールとしてあってほしいと思う。これもまたあくまで自分の中での話。

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